米鶴の酒づくり vol.1 〜 〈代表取締役 梅津陽一郎〉
幸せになりますように。
米鶴のはじまり
元禄年間、この地で農民の身分としては庄屋という、米が集まってくる地位にあった梅津伊兵衛が、年貢米を納め、地元農民に分け前を分配し、それでもなお余った米で地元の振興を願って酒造りを始めたのが、現米鶴酒造株式会社の最初の礎となっています。
米鶴という銘柄が誕生したのは、日本が明治維新をきっかけに近代国家への仲間入りを果たすべく、貧しいながらも活気があふれていた時代。豊かに実った米の姿、鶴の立ち姿がお辞儀に例えられることにちなんだ、感謝を伝える酒を意味します。また、米という漢字は88の数に例えられることから、88羽の鶴が末広がりに舞う、おめでたい名でもあります。
私達の蔵元は、私の祖父の時代から品質重視の姿勢を打ち出してきました。
戦前から戦後にかけての貧しい時代、酒造りに使用できる米の量は政府から蔵元それぞれに制限がありましたが、私の祖父は自分たちの食べる米を減らしてまで米を磨く量を増やして良質の酒造りに打ち込んだと聞いています。
米鶴の挑戦
私の父はまだ全国的に無名の米鶴をなんとかして広く世の中に知ってもらうために、
銘柄で判断されない、銘柄を隠して審査される品評会、鑑評会に出品をつづけて受賞数を重ね、
そのことが評価されて県内外に米鶴が出荷されるようになり、現在の米鶴の基礎を築き上げました。
私が生まれた1969年は、人類が初めて月面に降り立った年です。
米鶴が初めて「米鶴 超特選 F-1」の名で鑑評会品質の吟醸酒の市販を始めた、
人類にも米鶴にも大きなチャレンジの年でありました。
1980年ごろから、地元で採れた米で造ってこその地酒との信念から、
それまで酒造好適米は県外から買い付けていたものを、地元の農家と協力して酒米栽培を始めました。
今では地元の高畠町二井宿地区で採れる米の約半分が酒造好適米で、
米鶴ではそれを原料として主力商品を造っています。
1990年ごろ、酒米として栽培していた米品種「亀の尾」の稲から
少し大ぶりな米粒で心白が入ったものを発見しました。
言葉で言うのは簡単ですが、酒造りと米作り、両方を意識しなければこの発見は不可能です。
この奇跡の発見が元になって、平成5年に戦後初めて
個人による酒造好適米の新品種登録を果たした「亀粋(きっすい)」につながります。
2013年の全国新酒鑑評会金賞受賞により、国の機関が主催する鑑評会において
1956年からの金賞受賞回数が30回に達しました。
単一酒造場の受賞回数としては全国でも有数の蔵元に数えられると自負しております。
感謝、そしてこれからの米鶴
その他にも、小さな挑戦と失敗をたくさん経験し、
その中から時おり生まれる小さな成功を少しずつ積み上げて来て、今の米鶴があります。
創業からこれまで積み上げてきたご先祖様と先輩方、見守ってくださったお客様と地元の方々、
協力して下さった納入業者様方のおかげで、今の米鶴があります。
私が生まれて初めて日本酒を味わったのは
幼稚園時代に正月のおとそとしてなめさせてもらった「米鶴F-1」で、
その時の私の想像よりも美味しいと感じた記憶があります。
思えばそのころから日本酒の魅力にひかれたのかもしれません。
私自身は酒造りの専門的な勉強をしたことはありませんが、
日本酒ファンとしての経験は同年代の人よりは多く積んでいますし、
まだ広く知られていない酒を楽しむための様々な方法を心得ています。
これまでしたことのない挑戦を続けて、米鶴に関わる人すべてがしあわせになるように、
米鶴をたしなむ人すべてが笑顔になるように、
米鶴の名を未来永劫続くようにしていくことが私の使命と心得ています。
末永くお付き合いくださいますよう、よろしくお願い致します。
1994年 東北大学 大学院卒 原子核理学修士
2002年 米鶴酒造株式会社入社
2007年 代表取締役社長
スキー、テニス、バスケットボール、卓球、サッカー、乗馬、カラオケ、バックギャモン、ポーカー、競馬、将棋、確率統計学、経営学、心理学、飲酒(日本酒、ワイン)